Category: 新人賞・小説・文学

読者に迎合する興味本位の通俗文学

大衆文学に対し、純粋な芸術的感興を唯一の必然として書かれた小説を純文学。

坪内逍遙(しょうよう)や北村透谷(とうこく)ら明治の作家にも、文学者の高貴な精神性とこの用語を結び付けた使用例があるが、自然主義文学から派生した私(わたくし)小説が大正期に隆盛、久米(くめ)正雄の『「私」小説と「心境」小説』(1925)では、純文学と私小説を安易に同一視する見方も出てきた。

昭和初期の大衆文学の興隆とプロレタリア文学の問いかけのなかで、私小説中心の文壇小説が問題視され、横光利一『純粋小説論』(1935)は「純文学にして通俗文学」という新たな小説の可能性を模索した。

近代日本特有の名称だが、流動的な文学動向のなかで文学の意味が問い直されるおりはいつも、この名称をめぐる議論が復活するのも興味深い。

芥川賞は芥川龍之介の名を記念した

純文学の新人賞。

正式名は芥川龍之介賞。芥川の友人であった菊池寛の発案で1935年(昭和10)直木賞とともに始まり、今日に至る。選考委員の選考により、年2回授賞。記念品および副賞100万円(当初は500円)が授与される。

運営には当初は文芸春秋社、38年以降は日本文学振興会があたる。

受賞作または該当作がない場合の候補作は『文芸春秋』に発表される。

石川達三『蒼氓(そうぼう)』受賞の第1回の候補には、太宰(だざい)治、高見順らの作品もあげられた。

ついで石川淳、尾崎一雄、火野葦平(あしへい)、中山義秀(ぎしゅう)ら、昭和10年代に活動した作家の受賞もあって、漸次、文学賞としての権威をもったが、第二次世界大戦中の授賞には戦時色が表れた。

戦中末期から戦後にかけて一時中絶。戦後では井上靖(やすし)、安部公房(あべこうぼう)、松本清張(せいちょう)ら、独自の分野を開いた作家の受賞があり、その後「第三の新人」とよばれた安岡章太郎、吉行淳之介(じゅんのすけ)、遠藤周作ら、さらに開高健(たけし)、大江健三郎ら、力量を示した新進がこの賞を通って文壇に登場した。